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ヒキコモリストの日常

日本人光の戦士論<30>反グローバリズムに可能性はあるのか?

反グローバリズムってグローバリストに利用されているんでしょうか?

グローバリズムというのが実に厄介なものかも知れないと言う陰謀論的な話をしながら、その一方で反グローバリズムとかグローバリストに関してこれだけヤバい情報が出回っている意味はなんなのか?と考えました。

 

YouTubeとか大手のSNSにおいて厳しい情報規制があるこのを知っている人は多い筈だが、その割にはグローバリズムに関する否定的な情報は今のところたれ流し状態です。流石にテレビや新聞など大手メディアはこの種の反グローバリズムの情報を流さないが…。

 

流石のグローバリストも溢れかえる反グローバリズムの情報を全部チェックは出来ないでしょうし、そこまでやると本当に言論統制になってしまうので出来ないのかな?とか、逆にこの種の情報はワザと放置されているのかな?とかいろいろ考えました。

 

だが本当の理由は違うところにあるのかも知れない。彼らグローバリストにとって反グローバリズムの情報が世に蔓延っても別に痛くも痒くも無いのでしょう。そして長年悪事を働いて来た彼らにとって反グローバリスト勢力とは必要なものなのかもしれない。そう思う様にもなった。

 

彼らグローバリストは常に二元論的に対立を意識的に作り出します。資本主義に対して社会主義あるいは共産主義グローバリズム反グローバリズムあるいはナショナリズム

 

この様な二元論的対立をワザと作って、その状況を操って社会的分断を生み出す。彼らは歴史上、常にこの手を使って世の中を操り、そこから富を得てきました。分断とか対立というのは思想的争いを生じます。これはやがて戦争になります。また格差があれば、そこには人の移動や情報やお金の流れや偏差が生じます。そこには彼らにとってのビジネスチャンスが発生します。

 

一番手っ取り早いのは戦争を煽って両陣営に軍資金を提供するとか武器を売ることでしょう。そして格差があればそこにはいろんなビジネスチャンスが発生しますし、情報の偏差は株式市場とか金融で儲けるチャンスを生み出します。格差自体が戦争を生み出すキッカケにもなります。

 

グローバリズムとは世界をグローバル化してビジネスを創出する流れ(グローバリゼーション)を作り出す理念だが、その一方で格差を生み出し戦争を生み出すシステムなのです。

 

ナポレオンの時代のワーテルローの戦いに始まり、フランス革命を初めとするブルジョワ革命、ロシアにおける共産主義革命、アメリカの南北戦争、そして第一次世界大戦第二次世界大戦、その後の東西冷戦、そして最近のウクライナ問題、資本主義に対する環境活動家の運動など、例を上げたらキリが無いです。

 

彼らは基本的にビジネスマンです。そして歴史上、金融の仕組みを生み出し、その仕組みの中で富を生み出し、それを自ら懐に入れて来ました。そして悪魔的思想に従っているグローバリストの中心勢力の人々にとっては人の命などどうでもいいのかも知れないのです。

 

そして歴史上この様な手法を度々使って世界を操って来た彼らグローバリストは、味を占めてしまい、今では富を得るだけでは無くて、神に成り代わろうとしているのかも知れないのです。途方もない話のように感じますがこれは現実なのです。

 

そして世界中で起こっている反グローバリズム運動は今のところまだ草の根的なものなので、これらが連帯するところまでは行っていません。だが傾向としては反グローバリズム運動は今後もっと広がって行くだろうと思います。

 

だが彼らグローバリストはこれをあえて放置して何かしらのビジネスチャンスを見い出しているのかも知れない。これは我々にとってはリスクなのかも知れないし、可能性かも知れないです。

 

何も抵抗をしないでじっとしていたら我々はグローバリストに支配され搾取され続けるだけかも知れないが、逆に声を上げ続けることでグローバリストの支配を受けないで生き続けることが出来るかも知れない。

 

だが難しいと感じるのは、ある程度の規模の運動とか流れが生じると、それは彼れグローバリストに利用され、結果として無駄な戦いの渦中に身を投じなきゃならないかも知れないからです。だから自分たち自身が対立や分断を作り出すのは得策ではないと感じるのです。

 

この反グローバリズムの動きというのは今後どうなって行くかはまだ分かりません。だがすでにこのグローバリスト対反グローバリストの構図そのものが、彼らグローバリストに利用されている可能性はあります。つまり彼らはこの分断をさらに煽って、自分たちの良いように操って行こうとしているのかも知れないのです。

 

だがそれなら世界中に生まれるナショナリストとか反グローバリズムの指導者などは何者なのでしょうか?ロシアのプーチン大統領アメリカのトランプ前大統領、日本の安倍元首相、イーロン・マスク氏、そしてロバート・ケネディ・ジュニア氏の存在は何を意味するのでしょうか?

 

そしてたぶんグローバリストたちはこれまでの状況に基づいて方針を変え始めている筈です。彼らグローバリストの中心に存在する人々は、我々の見えないところでこの世界を操りながら、状況を常に見定め、その見立てに従って計画を常に軌道修正しているのです。

 

これは先の章で紹介したポストグローバリズムに見られる通りです。しかし小手先の改変や変革は目くらましに過ぎないでしょう。本質は変わらないし、全体の構図も大して変わらない。

 

反グローバリズムというとロシアのプーチン氏や、イーロンマスク氏の動きは重要だと思います。またアメリカにおいてはいまだに前大統領トランプ氏の存在感は大きい。

 

 

グローバリストの一部勢力であるディープステートたちの当初の計画が狂った原因はウクライナ紛争でロシアあるいはプーチン氏が思いがけず頑張ったのが大きかったかも知れない。そしてアメリカがウクライナを支援するといっても財政的負担が大き過ぎて力を発揮出来なかったのもあるでしょう。

 

そして同時にイーロン・マスク氏がTwitterを買収して今まで表に出ていなかった情報を暴露していったのも彼らにとっては痛かった。

 

そして頼みの綱だった世界経済フォーラムは今や❝裸の王様❞といった感があり、支配層もひょっとすると見切りを付けるのでは?といった状態に見えます。だがこれも見かけ上その様に演出しているだけかも知れない。

 

世界の趨勢も気になります。ウクライナ問題で揺れるロシア、孤立する中国と言われますが、それならBRICSに加わる国が増えている現実、そしてその国々の経済成長見通しは何を物語っているのでしょうか?そしてEU諸国の衰退と米ドル離れの加速もあります。

 

そしてグローバリズム反グローバリズムというのは、ステークホルダー資本主義に対してステートキャピタリズム(国家資本主義)といった構図でも語られます。

 

だがこのどちらも問題を抱えています。特に最近出て来たステークホルダー資本主義というのは実に偽善的で問題の解決にはならないという批判もあります。じゃあステートキャピタリズムで何とかなるかと言ったらそれも違うでしょう。

 

どちらにしても今我々が直面している問題は実に大きく、これは資本主義経済というのがこのような状態に至る性質をもともと持っているということで、解決しようと思ったらその本質を自律的に超えないとならないということかも知れないのです。

 

ステークホルダー資本主義とはそんな意味で新自由主義ネオリベラリズム )を乗り越えようとするものでしょう。だがこれは現時点ではただのお為ごかしにすぎないでしょう。そしてそこに付加される環境主義的な理念はどう見ても利益誘導に見えます。

 

つまりグローバリズムの問題というのは経済に関して言うと今までの資本主義経済のシステムでは駄目なのだという話になります。そして見かけ上、この資本主義的限界を突破する方途を示しているように見える世界経済フォーラムや今の世界の中心勢力そのものが問題の根源なのです(それを彼らが意識しているかどうかは別問題ですが)。

 

何故なら彼らはその新しい資本主義を実際には専制政治によって実現しようとしているからです。そして今の世界の格差は過去のグローバリストたちの影響で発生してきたものです。

 

そして今のグローバリズムの流れも過去の共産主義がそうだった様に一部の権力者が絶対的な力を持つ構造に至るものかも知れないのです。そして今や世界はその様になってきています。

 

これは本当に子供騙しのような話ですが、もともとグローバリゼーションを主導して、当初は新自由主義の流れを作った人々が、今になってあれは間違いだったから軌道修正しませんか?と問うているのです。

 

日本人はこの西欧的な思想・理念に振り回されて来た歴史を全部見直すぐらいの覚悟で考え抜くしかないでしょう。先ほど言ったように、いまやグローバリズム自体が変質しています。これを日本人は逆手にとって彼らを懲らしめてやる!ぐらいの気概をもって未来に向けて進んでいったら道も開けるかも知れないです。

 

恐らく西欧諸国やアメリカはもう後が無いところまで来ています。日本はこのままでは彼らに足を掴まれ奈落の底に転落する可能性があります。アメリカを始めとする西欧諸国はこの危機的な状況を何とかしようと足掻くことになるので、この影響っていうのは破壊的なものになるかも知れません。かと言って中国に追随するのも危険でしょう。

 

そしてグローバリストたちはこれらの国家を破滅させる気でいるのかも知れません。だが彼らの中からも新しい潮流は出て来ているので、これらをどう見たらいいかという問題を考えなきゃ駄目です。

 

グローバリストに対してナショナリストという政治的対立もあります。だがこれもどちらが正しいか?という二元論的見方は危険です。

 

たぶんグローバリストと言われる人々の中にもいろんな立場があるでしょう。だから繰り返しになりますが、先ほど言ったようにグローバリスト対反グローバリストという構図すらも彼らが演出している可能性があるのです。

 

そしてある意味でグローバリストの中で一番最上層の人々は地球の状況のヤバさも分かっているのでしょう。その為に人口削減とかグレートリセット、そしてグリーンニューディールなどを考えるのです。本当に世界をリセットして新しい秩序を作りたいと思っているのでしょう。だがこの新しい秩序というのは人によって解釈が違うので、彼らの動きも統制が効かない。

 

しかし、結果的には今の一部特権階級が得をするような状態が再び現出するのでしょうか?それともどこかでこれも転換するのでしょうか?

 

彼らグローバリストの仲間だったアシュケナージユダヤ人の中には良識派とでも言えるような学者や知識人も一部にいました。アインシュタインとか原爆開発に関わったレオ・シラードなどはこれに含まれるでしょう。

 

世界経済フォーラムの場でも度々話題になる過去の経済学者でカール・ポランニーという人がいます。彼は国際社会が今のように、経済に飲み込まれる状態を生前かなり危惧していました。そして何とか資本主義をもっと健全なものに出来ると考えていました。

 

だが今のグローバリストたちはこのポランニーの考え方を継承したのでしょうか。だが部分的にはその影響は残っているかも知れません。

 

だが、その一方で何か勘違いして神になろうとしているお馬鹿さんたちがいるのです。この救い難いお馬鹿さんたちは単なる馬鹿なのか、それとも演じているのかも分からない。世界経済フォーラムの主宰者クラウス・シュワブ氏も以前はそんなに過激な思想を展開してはいなかったのですが、その主張が変質していったのは最近です。

 

グローバリストたちは世界の状況のヤバさを何とかしようと考え、その為の新しいシステムを自分たちの思想と理念に基づいて作りうると本気で考えているのかも知れない。

 

だが現状を理論的に見たら、彼らがやろうとしていることは実に退廃的で科学的にも同意できかねる部分があり、決して人類の為には成りそうもないのです。そしてどこか悪魔的な思想の影響が垣間見えるのです。だが彼らの存在を否定することも出来ないでしょう。

 

だから、そこから有効なものを選別しなきゃならない。そして日本人は西欧的な科学至上主義の虚構性を今こそ分からなきゃならない。そこには可能性もあるがリスクもたくさんあるのです。

 

だが現状を見ると、こんなグローバリストあるいはグローバリズムに影響を受けて着いて行こうとしている日本の政治家や財界人は本当に本質が分かっていない。このまま行ったら日本の国が滅んでしまうどころか、世界が終わってしまうかも知れないのに、目先のことだけを考えて行動している。

 

だがこれも日本人の本質の一面なのか。過去にも何度と無く騙されて来た日本人的本質はこんなものなのかも知れない。

 

しかし、一方で希望も捨てがたいのです。これは国民がそれぞれ考えて行動するしかないかも知れません。もう今までの常識は捨てないとならない時点に来ているかも知れません。実に難しいがここに日本人の可能性もあるのです。

 

しかしこの国民とか庶民というのも実にいろんな人々がいるのでイザとなると信用して良いのか考えてしまう。この思いはコロナ禍の中で思い知りました。政府とか行政っていうのも信じられませんが、庶民というのもどの位信じていいのか分からない。

 

今の自分はここで足踏みしています。自分自身も庶民なので、庶民を悪く言うのは辛いのですが、自省も込めて言っています。

 

自分自身も信じられないし、隣人も信じられない。日本人は本当に目覚めることが出来るのでしょうか?目覚めるってどういう事?だが日本人的に考えたら我々自身の可能性を信じるしかないのです。

 

グローバリストたちが庶民を支配し管理したいと考えたのは、実に人間というのが愚かな存在だと感じていたからでしょう。そして、それは今も昔も変わらないのです。実際にコロナ禍の中では人々は主体的に何も出来なかった。誤った認識に基づいて誤った選択をして、自ら追い込まれていったとも言えるのです。

 

だが一部には聡明な人々がいました。これが何%いれば世の中は変わるのでしょうか?そして日本人の中にはこの聡明な人々がまだたくさん居るような気がするんです。

 

だがその一方で思うのは、ほとんどの人々が今のままでは次の未来に進めないかも知れないと言う危機感です。悪い方に引きずられて行ったら滅んでしまうかも知れない。だが良い方に大多数が進むなら可能性は高いのです。そして今はどんな状況なのでしょうか?

 

だがこの様に考えると優生思想と同じようになってしまう。これはそんな事では無い筈なのです。日本人は他人を見捨てるような人間性を持ってはいない筈なのです。誰かが遅れたら誰かが手を引っ張って最後まで一緒に生き延びる。そうで無かったら魂は浮かばれないでしょう。

 

これは物理的に生き延びられるかどうか?という問題でもあるが、人間性を尊重して本来的な意味で社会全体として幸せになれるかどうか?という問題なのです。

 

グローバリストの存在とか彼らの策略が無くても、私たちはもうどうしょうもない状態なのかも知れないのです。だが日本人はたぶん遺伝子的に本来凄い可能性をそれぞれ持っている筈なのです。

 

これが今回の日本人光の戦士論の核心です。だが実際に個人として何が出来るか?と考えると難しい。だがこれも何度も繰り返しになりますが、昔から語り継がれた普通の感覚こそ大事なのかも知れません。

 

だがこのグローバリズムの正体をちゃんと認識する必要があります。それから自分自身の人間としての性も分かっておく必要があるでしょう。人間って言うのは誰もが厄介な本性を持っているのです。これを今現在乗り越えるのは無理かも知れない。でもその影響を減じることは出来るでしょう。

 

その上で我々は自分自身がどんな❝鬼❞になるかを決める事が求められるのかも知れません。そうなのです。光の戦士とは鬼なのかも知れません。だが歴史上の❝鬼的存在❞とは違って今の時代においては法律とか常識とか社会規範があるし、他者を傷つける方策は取れないでしょう。倫理的にも精神論的にも他者を傷つけて問題解決にはならないでしょう。この話は犯罪を犯してでも社会を何とかしようと言う話ではありません。

 

これは実に難しい問題に見えますが同時に日本人的には普通の選択が正解になるかも知れないと言う矛盾した話でもあります。

 

そして人間の本質を考えたら、我慢というのもリスクが大きい。それは欲望とか欲求というのはそのエネルギーが大きければ大きい程、何かのキッカケで噴出するものだからです。

 

いつの時代も宗教が戦争の流れを作り出す。そして正義の主張はその反面、同調しない人々を見殺しにもします。

 

共産主義が歴史上多くの虐殺を生んだのもこれが関係しているでしょう。そして人間は愛するが故に相手を傷つけることも多いです。西欧的な思想というのは常にこの人間の本質を乗り越えられないで来ています。

 

騙されず、対立や分断も生まず、だが主張すべきは主張して、自分たちの未来は自らの手で切り開く。こんな事が出来るのでしょうか?だが日本の歴史というのは何度も何度も鬼たちが切り開いて来ました。鬼は何処にいるのでしょうか?どこにでもいるのです。そして鬼=八百万の神々なのかも知れません。

 

だが逆の見方をすればこれはグローバリズムとかグローバリストという鬼を退治する物語なのかも知れません。しかし、ここで考えるとグローバリストも人間だと言う事実を突きつけられます。鬼滅の刃という漫画(アニメ)の中で鬼とは元々は人間でした。この設定に見られる物事の本質って何なのでしょうか?

 

最近、日本のアニメとかドラマなどで鬼を題材にした作品が多いことに気が付きました。これは何を暗示しているのでしょうか?自分の考えている事と合致する部分があって興味深く各作品を楽しみました。

 

最近は❝大病院占拠❞なんてドラマもありました。これらに作品中では鬼=神ではありません。だが、日本の歴史を見るとある部分では鬼=神であり、鬼=原日本人なのです。これをどう見るか?は重要な話です。

 

<この投稿は連載企画です>