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ヒキコモリストの日常

日本人光の戦士論<48>結局、光の戦士って何者?[総論]

お天道様が見ている!この感覚が日本人の基本のキです。一万数千年前からきっと同じ

先日の投稿はちょっと頭が回っていなくてだらだらと関係無い事を書いてしまったので、改めて日本人光の戦士論の総論を書き上げようと思います。

 

今まで連載する中で光の戦士という言葉の意味を定義していなかったので、まずはそこを説明したいと思います。

 

まず戦士って言うと何か戦場で戦う人の事を指す言葉と受け取られるだろうが、今回の光の戦士と言う言葉の意味はもっと広い意味での戦士を意味します。

 

もっと言うと❝精神性を重んじて人生を生きている人❞と言っても良いかも知れません。そう表現すると大抵の人は当てはまってしまうかも知れません。

 

だが実際にはこれを実践できている人ってそんなにいないかも知れないんです。時代が時代なので世の中はお金で回っています。何をするのでも経済性が求められます。

 

仕事だって大抵はお金の為に働く訳で、しかしそれだけでは無い筈です。お金は結果的に付いて回りますが、仕事の意義って言うとそれは世の為人の為っていうのが常道です。

 

そして人間は他人と付き合う時にやはり損得も考えますが、基本的には付き合いっていうのは精神的な繋がりでしょう。

 

そして人生っていうのは最終的に自己実現しようと思って生きる筈ですが、それは結果的に精神的な満足を得たいという話では無いかと思うのです。

 

中にはあまのじゃくな人もいるので、自分は死ぬ時に全てに後悔しながら涙を流して死にたいなんて人もいるかも知れないですが、普通はそんな事は無い筈です。

 

また何の話をしているか分からなくなってきました。要は光の戦士っていうのは武器を持って戦う人ではなくて精神的な意味で世の中に爪痕を残そうとしている人、あるいは結果的にそういう意味で爪痕を残す人の事だと思ってもらえれば良いと思います。

 

人間が世の中で何等かの実績を上げたとすると、そこにはその人に人間性が反映されます。そして人間性っていうのは精神性と繋がってきます。

 

大企業を長年経営して世に貢献した人がいるとするとその人の実績はその大企業を運営した事として世の中では認められます。

 

しかしそれだけの大きな会社を長年率いて活躍したとするとその人物は人間的にもとても評価出来る人物だった筈です。

 

その実績は数字で表されたり、書面でその評価が世に出回るかも知れません。だがそこに不正が無いとか、経営もその人柄があって実績が積み重ねられたとか、そんな話になっていたりするのです。

 

日本人が光の戦士と言う意味は、このようにそれぞれが精神性を発揮して属する世界で活躍し、それを持って実績を積み重ねる事、それを日本人的に実践する事、それが結果的に世に爪痕を残す事。そんな人々の事を光の戦士と表現したんです。

 

日本人が昔から道義性を重んじて、西欧が植民地主義に没頭していた時代にも国際舞台でそれを表明してきた事や、戦場や人道援助など色んな場面でその道義性に基づく行為を実践し歴史にその爪痕を残して来た事の意味は大きいと思います。

 

そして海外からやってきた人々が日本人の実直さに心を打たれ、なんて国なんだ!と感嘆した場面も多いと言います。つまりこの道義性っていうのは日本人みんなの特性なんです。

 

今のグローバリストや多国籍企業がやっている事はその反対です。表向きは美辞麗句を並べて慈善的に振舞っていても、やっている事はその反対だったりします。

 

国連とか世界経済フォーラムとか、グローバリストのフロント組織も同様です。どこかが変なんです。その理念自体がいかがわしい。SDGs、カーボンニュートラル、LGBT、多様化の時代…。

 

これらは何なのでしょうか?世界を統一する気でいるのかも知れないですが、彼らにそんな事が出来る訳がない。しかし今の各国政府はグローバリストに国を売り渡しています。

 

日本も例外では無いです。もうだいぶ浸食を受けていますよね。これから先はもっと政府よりグローバリストたちの権限が強くなるでしょう。だがこの流れは危険です。中国共産党の影響もあります。

 

彼らグローバリストが今回のコロナ禍でやった事は犯罪的です。今の世界っていうのはもう狂っているんです。お金の力で世界を操ろうとしている特権階級の人々がいるんです。

 

このまま行ったら世界はとんでもない事になります。これを止められるとしたら世界中の心ある人々が連帯して阻止しなきゃならない。

 

今の世界を何とかしようと思ったら日本人が目覚めるしかないんです。今の日本政府はグローバリストの犬に成り下がっていますから、これを何とかしなきゃならない。

 

だが問題は日本人の大半の人たちがこの状況を分かっていないこと。そしてもっと言うと自分たちの存在意義を分かっていない。

 

昨日の投稿でもちょっと触れましたが、日本人って世界の希望の星なんです。一万年以上の歴史を持ち、しかも古代の縄文文明は世界で唯一と言っても良いかも知れない戦争を一万年以上していない民族なんです。

 

彼らが実際にどんな経済システムを持っていたかとか、その叡智はどのように手にしていたのか?とか謎は多いのですが、これは世界中の研究者たちが注目しているんです。

 

縄文時代には今より精神性が高かったかも知れないので、彼らの経済とか交易っていうのは信用を大事にしたのかも知れないですね。これは貨幣が無かったことから考えると口約束とかそんなものが今より実効的だったのかも知れません。とってもアバウトですみません。でもそう考えるしか無いんです。

 

そしてこの縄文時代にあった習俗とか思想的なものが後の時代の日本にも受け継がれているんです。だから弥生時代以降の日本人は縄文文明から多くのものを受け継ぎ発展して来ているんです。

 

それが今の日本人の祖先ヤマト民族なんです。だから随神の道って言いますが「お天道様が見ているから、ちゃんとしなきゃ」っていう感覚はこの一万年以上昔から引き継いだ感覚なんです。

 

魏志倭人伝にも日本人の公徳心の高さと礼儀正しさが書かれています。これは二千年前から日本人の特質だったんです。この頃の日本はすでに戦争の時代に入っていましたが、それでも外から見てもこんな風に評される民族だったんです。

 

このDNAが今の日本人にも受け継がれているのだから、私たちも同じように生きられるんです。きっと意識しなくても日本人は自然とこの生き方が出来るんです。

 

だが今はいろんな情報に接するし、教育だってどこまで有効か分からないし、世の中全体が変になっているんで、結果的に道を誤るケースもあると思います。

 

戦後の洗脳もきつかったし、明治維新以降は西欧化の結果としてかなり変質してしまったし、今の日本人は過去の日本人とはまったく別種の存在かも知れないですが。

 

そして縄文時代が終わってからの日本人はそれまでと違う道を歩んで来ました。これはある意味では進歩だったかも知れないが、ある意味では大切なものを失って来た歴史なんです。

 

だからここを意識しなきゃならないんです。そして歴史上、幾度も起こった復古という現象はたぶんこの古い叡智を忘れないようにという意味で起こったものなのです。

 

私は古事記なんかも復古の意味合いがあったと思っています。それから武士道とか明治維新なんかも復古的な意味合いはあると思っています。

 

そして今現在、時代は転換期を迎えていると感じますが、今も復古は必要な時期なんじゃないかと思っています。

 

それは日本人がその歴史的な存在意義をもう一度確認し、自らの特質を思い出す事です。精神性の大事さを思い出すべきなんです。

 

今の資本主義社会、市場経済主義というのは心があまりに蔑ろにされています。お金は大事ですが、人間は本来お金なんて無くても生きられる存在だった筈です。つまり今の社会システムっていうのは歴史上は特異な形態なんです。

 

それから今はみんな科学技術信仰の傾向が強すぎて、しかもいろいろ騙されて本来の道理を外れている場合が多いので、これも何とかしなきゃならない。

 

科学っていうのはまだ不完全なものだし、全てを解決してくれる訳でもありません。また心がなかったら科学技術だって生かせません。ここを勘違いしている人があまりに多い。

 

だからこそ、今の時代に復古が必要なんです。そしてこれをキッカケに日本人が再び自らの存在意義を自認し、自信を持って生きるようになったら、これは世界を変えるかも知れません。

 

量子科学の世界では人間の意識というのは光子(フォトン)の運動、あるいは波だと言います。つまり何かを思ったり、人に気持ちを伝えたり、このような行為あるいは思考というのは❝光❞なんです。

 

じゃあ、何で見えないんでしょうか?それは良く分かりませんが可視光線ほどの波じゃないんです。だけどみんな気持ちが動くって事は光を発しているんです。精神性っていうのは光の運動なんです。

 

ようやく言いたい事が言えました。光の戦士っていうのがどんなものか分かりましたか?別に日本人だけが光の戦士じゃないですが、日本人の多くがきっと光の戦士なんです。

 

別に些細なことでもいいんです。例えば恋愛していれば相手の事を想って生活しますよね。これは相手が家族だって同じです。あるいは仕事仲間でも、飲み友達でも、何でも同じです。みんな気持ちで生きていますよね。

 

その中で相手を想い、時には助け合って、時には喧嘩したり別れたり色々あるけど結局は相手が気になるから気持ちも向くんでしょう。そして気持ちっていうのは相手が人間だけじゃ無いですよね。勉強だって仕事だって、趣味だって、全部気持ちが動くから現実を変えて行く訳で、全部同じです。

 

日本人がみんな精神的にレベルが高いかって言われるとそうじゃないかも知れません。でもそうじゃないのなら、自分はレベルを上げる様に生きようって思えばいい。

 

まさかお釈迦様になったりイエス・キリストになったりする覚悟は要らないです。そこまでは求められていないでしょう。でも頑張って少しでも良い生き方をしよう!って思う事が大事なんでしょう。

 

仕事だって趣味だって気持ちが向けば結果は違って来ますよね。好きな相手と一緒だったら全てが楽しいでしょう。そんなものなんです。

 

昔から日本人はそんな意味で「お天道様が見ているから」と思って生活していたんです。一万数千年前からずっとそうやって生きて来たのが日本人なんです。

 

だから宗教なんて無くてもみんなちゃんと生きれたんです。だけど神道とか仏教とか途中からは宗教も頼りにしながらやってきた。だけどそれが無くても何とかなるのが日本人なんです。

 

きっと神様は自分の中に居るんです。日本人にとっての神様って外部的な存在じゃないんです。考え方としては神様≒ご先祖様かも知れない。あるいは時々で違う神様を頼るかも知れない。でも結局は自分の心の中に居るんです。

 

だから誰でも神がかることもあるんです。お友達のこと「あいつ神がかってるよな!」とか言った事無いでしょうか?あるいは自分が言われたり…。

 

これはちょっとレベルの違う話ですかね。でも実際問題としてこれがもっと高いレベルになる事もあるんだと思います。

 

だけど光の戦士ってそんなにたいそうな事をしなくてもいいんだと思います。例えば自分の家族を幸せにするんだって大事な戦いです。商売でお客様の事を真剣に考えるのも大事な戦いです。全てはアナタの気持ち一つです。アナタの気持ち=光です。

 

それから日本人は昔から和を重んじて来ました。和合?要はみんな一緒に幸せになろうね!って事です。自分だけが良い思いをするんじゃなくてみんな一緒なんです。

 

だから神様も合議の末に何でも決めたんです。この和の心が日本人の大切な思想なんです。だから仲間外れとかイジメとか、喧嘩とかそんなのは絶対に駄目って昔から言っていたんです。

 

でも神様でもこの種の行為はあるんです。だから世の中上手く行かないのも道理なんです。でも縄文人はこれを知っていたから戦争をしなかった。収奪とか搾取とか世界中で起きていた悪しき行為をしなかったんです。

 

何故彼らはこれを実現出来たのでしょうか?これは推測ですが社会規模が拡大しなかったからです。程々で抑えていた。あるいは結果的に拡大しなかったのかも知れないですが…。

 

これは今の私たちの社会も見習いたいところです。というか今の日本は少子化が進んでちょうど良いタイミングかも知れないです。今まで拡大拡大で来たんですからちょっと一旦考えた方が良いでしょう。確かに労働人口は多い方が良い。でも経済活性化だけだったら人口がちょっと伸び悩んでも出来る事はあるでしょう。

 

世の中では少子化対策が必要とか労働人口が足りない分は外国人を入れればいいとかそんな議論が行われていますが、これってもっと考えた方が良いでしょう。

 

和の話でしたね。そうでした。これからは高齢化がもっと進むんですからもっと優しい社会にしなきゃならないですよね。それから健康寿命をもっと伸ばす方策も考えなきゃならない。老若男女問わずみんな幸せにならなきゃならないでしょう。

 

それから和の心で思うのはやはり今の世界の構造はちょっと極端過ぎるので、これを何とかしなきゃならない。一部の特権階級の人々が権力の大部分を握っていて国家さえも動かしている。これは異常です。これを何とかしなきゃ人類は滅亡するかも知れない。

 

だから日本人はこれとは対極の生き方をして手本を見せる必要があるでしょう。その為には彼らの束縛とか影響を脱しないとならないでしょう。これをどうやるかはちょっと分からないが、まずは今の日本の政府とか省庁とか実業家の方々とかここら辺を変えて行かなきゃならない。

 

しかしこれは大変な仕事になるでしょう。今ではグローバリストというのは日本国内にもたくさんいますからこの人たちの影響力を削いで行かなきゃならない。でもここからが戦いですね。今までずっと日本はアメリカの属国だったし、グローバリストにとっては体の良い植民地みたいなものだったんですから、ここから脱するのは大変です。

 

でも国民の多くが目覚めたら政治も動かせるでしょう。だからこその「日本人光の戦士論」なんです。この本はここから日本が立ち上がる為の覚醒の書です。まだ不完全なところは多々あるんですが、それはこれから修正して行きたいと思っています。

 

自分も勉強不足なので多々問題があることは認識しています。でも出来るだけ事実に忠実に齟齬が無いようにと配慮したつもりです。だから大筋は間違っていないでしょう。

 

と言う事で「日本人光の戦士論」の総論はこんな感じで終わろうかと思います。もうちょっと付け加えるものがありそうな気もするんですが、何か忘れているのかな?

 

思い出したらもう一度投稿するかも知れません。だが時間が時間なので今日はここまでです。ありがとう御座います。